2011年バスク旅行 その6 パリ

SNCF(フランス国有鉄道)は快適だった。朝8時半発に乗ってパリに13時ちょっとくらいに着いたから、5時間以上かかったけれど
伊藤若冲に関する本を読んだり、パンをかじったりしてあまり退屈しなかった。ただ、電車好きとしては窓からの景色が速すぎてよく見えないのと、
シートが進行方向に向いてなかったのががっかり。セネガルの少年サッカーチームが同じ車両で、まあお顔が小〜さくてスタイルが良くて
真っ黒、すご〜くかっこよかった。


  

Hôtel du Levant、壁紙の色が私の大好きなデュフィの「三十年、或いは薔薇色の人生」を思い起こさせる。
サン・ミッシェルにあるこのホテルは、お値段なりに部屋は狭いけれど、主要美術館が徒歩圏内にあり、周りにレストランがいっぱいあって
帰りのシャルル・ド・ゴール空港まで電車1本で行けるところがお気に入り。3回目の宿泊。1泊77€。


 

バイヨンヌで会ったサウジアラビア人が言ってた錠がいっぱいの橋。

まず最初に行こうと思ったのがマドレーヌ寺院、メダイをお土産を頼まれたのだ。ホテルのレセプションに徒歩で行けるか聞くと「私なら歩くわよ」とのこと。
なのでシテ島を渡ってセーヌ川沿いを歩いてみた。天気が良く、ヨーロッパの日差しがきつかった。


マドレーヌ寺院

ホテルから徒歩で20分位だった。中に入って頼まれた色のメダイを彼女と彼女の友人分を買った。旅のプランではこの寺院に来る予定は全く
無かったのだけれど、中に入ってみると祭壇がいくつもありお祈りができるようになっていたので東北地方の人々や災害で亡くなられた
方々のためにキャンドルをともし祈ることにした。



オペラ・ガルニエ前

マドレーヌ寺院からオペラ・ガルニエまでもついでに歩いてみた。途中ヴァンドーム広場を通り、高級ブティックを眺めた。
バスク旅行最後の目的は、バレエ「天井桟敷の人々」を見ること。チケットはマチュー・ガニオがバチストを踊る今日は完売で
明日ならあると言う。見られないかもと思っていたのでラッキー!「前の前の方にスペシャル・シートがあるけれどそれにする?」と聞かれたので
Yes.と。オルセーかルーブルかオランジェリーがいづれかの美術館へ行くつもりだったのが、歩きすぎて疲れ、断念。ホテルに帰る。


  


ホテルのレセプションお勧めのお店 RESTAURANT DE HAUTE MERで食べたスープとデザート。

晩御飯はムール貝のチェーン店で有名なLÉON へ行こうと思ってた。ホテル近くにあったはずなのに無くなっててその代わり。レセプションには
レオンみたいな店をと言ったのに、似てなかった。だいたいLÉON はファストフード店みたいだけれど、HAUTE MERはきちんとしたレストランだったもの。
メニューが外国人にも優しい英語ありだったけど、でもそれがiBOOKなの。使い方が分からないったらありゃしない…。それでなんでか分からないけれど
と言うか英語すら読めなかったワタクシ、ムール貝を頼んだつもりが来たのが魚介スープだった。でもこれが凄くおいしくて付け合せのラスクの量が多く
これだけでお腹いっぱいになった。ラスクについてきたマヨネーズソースが、これまたとても美味しくて嬉しくなった。スープを飲み終えるとギャルソンが、
もう終わりか?デザートはどうするの?と聞いてきたのでチョコレートケーキのお勧めを注文した。ムースを囲んでいるメレンゲ状のチョコレートがアーティスティック、
下のムースは濃厚、ケーキはあっさりとあまり甘く無く美味だった。



次の日、やっぱり旅はプランが大事。バイヨンヌが日曜日で失敗だったのに続き、火曜日パリは美術館が軒並みお休み。過去3回、オランジェリーが改装中で見られなかった
ので今回は見ようと思っていたのに…。睡蓮見たかった。次回の課題。きっとパリがまた来なさいと言っているに違いないと思った。



パリ7区 AU BABYLONE で食べたランチ、Les Plats de jour(その日のプレート) 。


私が良く覗かせていただいている某ブロガーさんが行っておいしかったと書いてて、私が初めてパリへ行ったとき泊まったホテルに近かったので
思い出を訪ねてお散歩がてら行ってみた。彼女のブログでは、メニューはフランス語のみとあって、お店を切り盛りするマダムがフランス語のみと
書いてあったけれど、私が使えるくらいの英単語は大丈夫だった。ランチが数種類あって、隣に座っているご婦人のがおいしそうだったので、指差し
「あれは?」と聞くと、その御夫人に聞こえたのか彼女は突然私の方を向いて「メェ〜〜〜」と。あ、羊か?と思い同じものをオーダー。
ラムが柔らかくおいしかったし、付け合せのマッシュポテトも生クリームが多く優しい味で大満足!





一応行ってみたポンピドーセンター前のプール。以前2004年に行ったときはあったかな?




マレ地区、唯一開いていた狩猟自然博物館(Musee de la Chasse et de la Nature)中庭のオブジェ。館内はお子様がいっぱい、ガイドさんに説明を受けて楽しそうだった。
特に剥製に興味があったわけでは無いけれど、こんな機会でもなければ見ないようなものがいっぱい。あらゆる種類の動物の剥製があった。
どの動物ももうこの世にはいないのに生きているみたいで、「本当は話せるの?」と目を見て聞いてみたけど、義眼だったと気づき見つめても心が分かるわけではないと…。
毛皮だったら高そうなキツネやエルメス社が寄贈(?)した馬の剥製もあった。コンパクトで見やすかった。

この後、マレ地区を散策、以前泊まったホテルを探したけれど方向音痴のせいでたどり着けなかった。ホテルに戻り、バレエ鑑賞のためのドレスに着替え
健康サンダルも履き替えた。



海外初バレエ「天井桟敷の人々」幕間で撒かれたチラシ 「オセロ」
何回かパリに来たことはあってもオペラ座は初めてで、入るのにちょっと緊張した。係りの人にチケットを見せると「これはスペシャルチケット」と
私の席を説明してくれた。それが…前は前の方なんだけれど補助席のように畳んである椅子をバタンと下ろして座る形、そんな椅子に座ってバレエ鑑賞は嫌だと
他のシートはないか聞いたら、きっと近くに空席ができるからそこが埋まらなければそちらに移動できますとのことだった。
椅子に座ると隣の女性がやり取りを聞いていたらしく「きっといい席に座れるわよ」と言ってくれた。彼女は、ニューヨークから来て14日間アパルトマンを借りて
連日ショウや美術館を見ているとのこと。「このショウは見たことある?」と聞かれたので、自分はバレエは2度目でこれを見たいのは映画「天井桟敷の人々」が
マイベストムービーでそれがどのようにバレエになっている知りたかったと言ったら、彼女も「主人公が無言劇の俳優で、それをもともと無言のバレエでそこをどう
表現するのか楽しみね」と言った。天井のシャガールが綺麗でその真下にいる自分が嬉しかった。開演が近づくと私はもっといい席に移ることができた。
隣の女性も喜んでくれた。
ストーリーは全く映画と同じだった。一幕目が終わると同時に天井からチラシが降ってきた。チラシは私のところまでは届かなくて座っていたら、黒装束で
顔を真っ白に塗った男性が、近くに現れそのチラシをくれた。私は予備知識がなかったから、それが幕間で踊る告知だということが分らなかった。彼が
「こちらへどうぞ」みたいな感じで腕を差し出して来たので、私も腕を回したら無言でロビーに連れて行ってくれた。そうそこでバレエ「オセロ」が上映されていたのだ。
「オセロ!」と思わず声を出して言ったら、彼はにっこりとして手を振って向こうへ行ってしまった。
第二幕、始まると私を「オセロ」にエスコートしてくれた人がステージにいた。ダンサーだったのだ。あ〜だから組んだ腕ががっちりしてたんだと納得した。
夢のようだった。

終わった後、階段を下りていたら先ほどのニューヨークから来た女性が「どうやってホテルまで帰るの?」と話しかけてきた。きっとバレエの感想を話したかったのだと
思う。私は公共の乗り物で帰りたいけれど、危ないかしらねと聞くと方向が同じなら一緒に地下鉄に乗ろうと言うことになってホテルを聞くと偶然に同じ駅だった。
ふたりでバレエのことを話しながら歩いて地下鉄の駅へ。ふたりともバチストよりギャランス役のダンサーが気に入って、良かったわね〜と言うことになった。
それとお互い好きな映画の話もして、パリに惹かれるのは何故かしらね〜とか「ポン・ヌフの恋人」が好きと言うので「ポンヌフはポンが橋でヌフが新しいでしょう。
東京にも同じ名前の地名があるのよ」と教えてあげると、まあ行ってみたいと…。
駅に着いたら彼女はホテルまで送ってくれた。多分私の方が年上だと思うけれど幼く見えたのかな〜。ハグしてお別れした。

















  

2011年バスク旅行 その5 バイヨンヌ


サン・ホワン・ド・ルスからバイヨンヌまでバスで40分位だった。曇り空、少々小雨。
運転手さんが教えてくれた停留所で降りると周りは何もない。市中心部にあるセントマリー大聖堂の塔が遠くに見えた。
地図によるとホテルはセントマリー大聖堂の向こう側にあるはず、そこへ行くためにタクシーを拾おうにも本当に何もなかった。
仕方ないのでセントマリーの塔目がけてスーツケースを引きずっていると、数台車が止まって「どこへ行く?」と声をかけて
くれる。後ろに車が続いていても気にせず止まるのには驚いた。急に前の車が止まっても、後ろの車はクラクションも
鳴らさず、一緒に止まり心配そうに私の方を見てくれた。私は車が止まり聞かれるたび「市中心部!」と言い
乗せてくれると言ってくれた車もあるけれど、サン・ホワン・ド・ルスのおじいちゃんを断ってるのに、ここで乗せてもらうのも
なんだかと思いThank youといってやり過ごした。
公園の横の道を通っていると、今度は路線バスが止まって「どこへ行くんだ?」と私はまたまた「市中心部!」と言うと
「乗りなさい」と言ってくれた。乗客はおばあちゃんひとり。運転手はもう一度街のどこ?と聞くのでホテルの
地図を見せると、バス路線図をくれてAバスに乗って2つ目だと言う。「Aバスの乗り場まで乗っていきなさい」と。



Aバス乗り場

降りるとき運転手さんにいくら?と聞くといらないと言う。日曜日なのでバスは少ないよと言ってくれた。親切!
Aバス乗り場に座っていると目の前に大きな橋があって向こう側にホテルの看板が見えた。全然歩ける距離、
歩くことにした。
ホテルのレセプションはすごく親切で感じが良かった。お店を調べるのにコンピュータを貸してと言ったら「very very slow」と笑ってた。本当に遅かった。
お部屋は値段の割に小さく、ベッドが驚くほど狭かった。私が使っているシングルベッドより狭かった。



 

ホテルの部屋からの眺め、見える塔がセントマリー大聖堂。サン・ホワン・ド・ルスからのバスを降りたのはあの向こう。遠い。
日曜日、街は静かだった。



バイヨンヌ、鉄道の駅。ホテルのすぐ裏。


次の日の朝8時半発パリ行きの国鉄チケットを買いに行った。私の前に並んでいた人が係員に地図はないか聞いていた。
私はホテルからもらったのがあるから彼にこれどうぞとあげると、どこから来たのか聞いてきた。私は日本だと答えると
TUNAMIは大丈夫かと言う。私の住んでいるところは地震はあったけれどTUNAMIはなかったと言うと、TUNAMIと
地震は同じじゃないのかと言ったので、TUNAMIは地震によってもたらされるもので別だと説明した。彼は○×※▲から
来たと言うがちっとも聞き取れない。もう一度聞き返したらパスポートを見せてくれてサウジアラビア人だと言う事が分かった。
一緒に歩いていると彼は、あのホテルに泊まっていると言う。同じホテルだった。ランチはすんだ?一緒にどうと
誘われたのでご一緒することにした。



ワンプレートランチ。料理名は忘れちゃった。トマト味の牛肉だった。8€


彼は、地図を作る仕事をしている人で仕事関係で私と逆のルート、パリから来てこれからスペインへ行くと言う。
パリはどうだったか聞くととてもロマンチックでいいところだと、欄干に鍵をつけている橋があったと言っていた。
恋人同士が記念にかけるのだと言う。話している途中奥さんから電話がかかってきたり、仕事仲間にかけたり
iPhoneをずっといじっていた。

その他お互いのことを話し、彼はこれから一緒にバイヨンヌを周ろうと言ってくれたけれど英語を話すのが面倒なので
ことわり、夜ビアリッツで一緒にディナーをしようとも言ってくれたけれど、彼の英語を聞き取るのが結構大変
なのでそれも断った。きっと私の英語も彼のと同じくらい怪しいんだろうなと思った。すると彼は、夜8時に何をしてるか聞いてきた。
自分はその頃ホテルへ帰っているだろうから、部屋へおいでよと。部屋番号を書いたメモをくれ、まあ来る来ないは自由だからと。
私は、メモをいったん受け取って彼に聞いてみた。
「I’m very curious about you. Are you a Muslim, right?」
「なになに?何が知りたいの」
「聞いたら怒るかも」
「怒らないから聞いてよ。嫌な質問には答えないからさ」と言うので
「How many wives do you have?」
彼は大笑いして「ひとりだよ。イスラム教徒は何人も妻を持てるけれどそれは平等に富や愛情を分けなければいけないの。自分はひとり
だけしかできないよ」と答えてくれた。怒られなくて良かった。

レストランを出る時、彼はご馳走してくれると言った。だけど理由が無いので断るといや〜な顔をした。失礼だったのかな?
でも日本じゃそうなのだからいいのだ。それからひとりでバイヨンヌを歩いた。




セントマリー大聖堂を望む市街地。日曜日なのでどこも開いてませ〜ん。



 

セントマリーまでの道すがら見つけた郵便局のマーク、かわいい。と、どこかのドアノブ。



この通りのお店は開いてた。バイヨンヌはヨーロッパに初めてチョコレートがもたらされた地とのことで
美味しいチョコレート屋さんやお菓子屋さんがあると聞いていたが、有名店は軒並み閉まってた。
小さな生ハム屋さんが開いていて、そこで名物の唐辛子と塩、パテ類をいくつかお土産に買った。


唯一開いていた美術館、バスク美術館のあるプチ・バイヨンヌの街並。


バスク美術館内のらせん階段。昔のバスク人と現代のバスク人の身長差。伝統的なバスク衣装の絵画。


細かなバスク様式の門構え。その他織物や衣服などの展示物があった。


修道院(?)


朝のセントメリー大聖堂とグラン・バイヨンヌ。移動日に限って天気が良いのは何故?



 

ホテルのレストラン。朝食は取らずココアを飲んだ。あまり…。
チェックアウトの時、昨日のサウジアラビア人と逢ってしまった。彼が「昨日8時はどこにいたの」と聞くので
部屋にいたよと言うと訝しげな顔をした。来ると思ったらしい。そう思った根拠を聞きたかったけど、Byeと言ってホテルを出た。

2011年バスク旅行 その4 サン・ジャン・ド・リュズ


サン・セバスチャンからサン=ジャン=ド=リュズ(Saint-Jean-de-Luz)までは、海が見えたり見えなかったり
バスで50分位だった。途中アンダイエ(Hendaye)は、白いヨットがいっぱい浮かぶ港に面したとても美しい街だった。
そこから乗った白髪でかなり高齢そうなご婦人は、空席があるのに私の隣に座った。過去からの経験で失礼ながらかってに
スリ危険警報発令、彼女顔はソニア・リキエルそっくりで5〜6分に一度位頻繁にお顔に粉をふってお化粧直しをしていた。
そしてお化粧直しをしながら私の顔を覗き込み何やらフランス語で話しかけてきた。私は全く分からないので目的地
「サン・ジャン・ド・リュス!」と言うと「サ・ホワン・ド・ルス?(私の耳にはこう聞こえた)」「Oui」

次の次の停留所に止まった時、彼女が強烈な肘鉄をくれてあっち見てみなよみたいに顎をしゃくった。見てみると
男の子が紙袋に向かってゲーゲー吐いてた。教えてくれなくてもいいのに…。
そんな彼女、サン・ホワン・ド・ルスが近づくと「次だよ」みたいな感じで教えてくれた。merci.

バスを降りてメインストリートに向かうとツーリストインフォメーションがあり、そこで次の目的地までのバス時刻表を
もらい、ホテルまでの行き方を教えてもらった。もの凄く眩しいヨーロッパの日差しの中、てくてくホテルまで歩いた。


 


コンフォートシングル、ストリートビュー、テラス付き1泊143€。広く清潔なバスルーム、バスローブとタオル乾燥機もあった。ホテルを Hélianthal Thalasso & Spa
にしたのは、本格的なタラソセラピー&スパが受けられるとのことだったから。サン・ホワン・ド・ルスで最初にできたスパホテルらしい。



 


バルコニーからの眺め。
ホテルのレセプションの説明によると、ホテル内は、バスローブ&スリッパOK!とのこと。なので早速水着に着替えてバスローブを羽織り
プールへ行った。
グランドフロアーにある室内温水プールでは、水中エアロビクスレッスンをやっていてわたしもちょっぴり参加してみた。
プールの水は多分海水、あがった後お肌がつるつるになった。部屋にあったタラソセラピーやマッサージのメニュー表がフランス語だったので
エステ係りの人に英語のはないか聞いたらフランス語のみだと言う。施術してくれる人に英語が通じるのか聞いたら、う〜んって感じだった。
メニューが読めないのと裸になって言葉の通じない人とやり取りすることが苦痛でタラソセラピーは諦めることにした。ちょっとがっかり。
でもまあ温水プールに浸かっていればそれなりにお肌に良さそうだし、プール併設のサンルームから直接ビーチに出ることもできたので、
日が出てれば外で、日が陰ってきたら中で日光浴をし、サウナやハマムに入って汗を流した。日の光は1年分浴びた感じ、北国育ちには贅沢贅沢。



プールに飽きたのでお散歩に出てみた。この後ろがホテルのビーチ。ひとり旅、ひとりで歩いてる人は全く見かけなかった。やはりこういった
リゾート地はひとりで来るところじゃないのかな〜と旅の途中唯一しんみりしてしまった。
日本から持ってきた水着があまりにシックじゃなく周りから浮いた感じだったので、メインストリートのお店でパープルのハイレグ水着を買った。
旅行前に周ったお店には若い子の着そうな大きな花柄の水着か、スポーツ水着しかなく、素敵なのが買えてよかった。



ホテルのレセプションお勧めのお店 Bodega la Plancha  で食べたDrade grillee Espagn(鯛のグリルスペイン風)
塩味がちょうど良く美味。付け合せのサフランライスもおいしかった。チョコリも飲んだ。ちょっとがやがやしたお店だったけれどひとり旅のひとりごはんには
あのくらいの騒がしさがちょうどよかった。
ホテルに帰ったら疲れてたのかすぐ寝てしまった。



リゲッタ健康サンダル、合成皮革、ゲタリアでの長距離歩行にも耐えたスグレモノ、なのに…。
翌朝、朝食を食べ終えてレストランを出たらバスローブを着た中年女性が、入ろうかどうしようか迷ったように中を覗いていた。
彼女は入らなかったようで帰りのエレベーターで一緒になった。彼女、私の足を指さし「英語は分かる?」と言う。私がYes.と答えると
「あなたのそのサンダルひどいわね。市場へ行くんじゃないんだから、こういう場所には私のようなフラットシューズを履くべき、人に笑われるわよ」と言う。
自分はレストランにバスローブで何を言うと思い、でもちょっと不安になってレセプションにこのサンダルは失礼か聞いてみた。すると「全然かまわないけれど、
プールは滑ると危ないからやめた方がいい」と。良かった。




ホテルのお部屋でランチ、市場のお総菜屋さんで買ったタラとポテトのサラダとババリアビール。

朝食を食べ終え部屋でのんびりしているとおそうじ係の人に「お昼過ぎまで部屋を出てほしい」と言われ、お土産物を買いに街へ出た。ルイ14世が結婚式を
あげた教会は閉まってて残念、発祥の地と言われているエスパド−リュ屋さんやチョコレート屋さん、バスクリネンのお店を見て回った。
バスクリネンはしっかりとした生地で、オレンジ色に黄色と黄緑のストライプ、唐辛子のワンポイントが付いているテーブルクロスを買った。

市中心部にある市場はとても賑やかで、お食事のできるテラスが出たりバーベキューをやったりしてた。私は中に入り色んなお総菜屋さんを見て回って
買ったのは、目が合ってJapanese?と言ってくれた店員さんから。彼女は「日本の復興を願ってます」と言ってくれた。「どれがおすすめのサラダ?」と
言うと「お魚とお肉どっちが好き?」と聞いてきたので「魚」と答えるとタラのサラダをお勧めしてくれた。オリーブオイルとハーブの香りがとても良く
塩味もあっさりとして美味しいサラダだった。そこではパンとビールも買った。

午後からは、泳いで日光浴して、日光浴して泳ぎハマムにサウナの繰り返し、夕方にはぐったりとしてもう夕食に出かける元気はなく、昼間買ったパンを
かじってビールを飲みぐったりと寝た。




サン=ジャン=ド=リュズ国鉄の駅舎


ホテルの朝食、日曜日だからかサーブしてくれる人が極端に少なかった。フルーツもパンの種類も少なく、卵はゆで卵だけ。
サン・ホワン・ド・ルスもホテルも気に入ったけれど、この朝食に2000円近くはないと思うので、もう一度このホテルに泊まったとしても
朝食は付けないな〜と思った。

次の目的地Bayonne(バイヨンヌ)行きのバスをこの駅舎前で途中下車したので、絶対ここからバスに乗るものと思い、待つこと30分。
15分間隔位で運行しているはずなのに全然バスが止まらない。おかしいなぁ〜と思っていると中年男性が「どこへ行くの?」と話しかけてきた。
バイヨンヌ」と答えると送ってくれると言う。え〜お金はかからないし、ドアトゥドアでホテルまで送ってもらえるかもと思ったけれど、
No,thank you.と答えた。彼は「どうして?」と聞いてきたので何と答えようか迷ったけれどDangerous!と。彼は驚き「Moi!(僕が)」と言ったけれど
I am sorry for you.としか言えなかった。頭を下げると彼は首を振って自分の車の方へ行ってしまった。すみません。ヨーロッパの危ない映画の
見すぎ、ミヒャエル・ハネケが悪いんです。
バスがほんとに止まってくれないので、もしかしたら下車と乗車のステーションが違うのかと地図にある別の停留所へ行くと、そこにバイヨンヌ方面
行きのバスが止まってた。スーツケースをトランクに入れて、発車までに運転手に自分の泊まるホテルの地図を見せ、3か所あるバイヨンヌの停留所のどこで
降りたらいいか交互に指差して示した。「停留所はどこですか?」と言うフランス語、覚えておくべきだと思った。と言うかフランス語会話帳を何故
スーツケースに入れっぱなしにしちゃったのかなって…。運転手さんが、ココと指差してくれたので安心してシートへ。バスは緩やかに発車した。

2011年バスク旅行 その3 サン・セバスチャン

サラウツからサン・セバスチャンまでバスで、1.95€ 
サン・セバスチャンバスク語でDonostia、今回の旅においての食のハイライトになるだろう街。
ひとり旅なので、コースメニューはちょっと食べずらいけれど、ちょこちょこっとつまめるタパス(前菜)ピンチョなら全然OK!
ピンチョ屋さんをはしごするのは、チキテオ (txikiteo)と言うらしい、あ〜〜楽しみ!


バスの窓からず〜っと外の風景を見てて、“ここからサン・セバスチャン”って標識が見えたので、バッグからホテルの地図を出して眺めていると
後ろに座っていた女性がぬ〜〜っと私の顔の横に現れ、どれどれ!と言う風に私の地図を覗き込み“バハ!バハ!”と言う。
「バハ?アキー(ここで?)」と質問をすると「Si!(そうだ)」と。「Cerca de aquí(ここに近いの?) 」ともう一度質問すると「NO!」
でもバスから降りろと言う。なので彼女の言うとおりバスを降りたら、その彼女はさっさと居なくなってしまい、さすがおせっかいが多い(そして適当だ〜)
スペイン人、と思っていたら後ろから声が「あなたバッグ、空いてるわよ」と。それでホテルの地図をその彼女に見せてここへ行きたいんだけれどと、
またまた「Cerca de aquí」と聞いてみたら、「サン・セバスチャンのバス路線はコンプリケイトだからタクシーで行く方がいいわよ」と教えてくれた。
スペインは流しのタクシーと言うのはなくって、だから大きなスーツケースを引きずって大きなホテルを探してそこでタクシーに乗り予約してた Hotel Record へ。



ホテルと言うよりペンション、シャワーのみバスタブ付きじゃなかったけれど、広くて清潔、可愛らしいお部屋だった。レセプションも英語が話せて親切、おいしいピンチョのお店をいくつか教えてくれた。
海まで5分よって言ってたけど海は見えない。本当はもっと海の近くに泊まりたかったのだけれど、この時期のサン・セバスチャンは空部屋が全くと言っていいほどなく、ネットで口コミのいいこのペンションにした。





早速、次の目的地サン・ジャン・ド・リュスまでのバス時刻調べと散策で街中へ。これは、ツーリストインフォメーションまでの途中にあった魚市場。
ツーリストインフォメはアジア人を除く(多分)色々な国の人たちで激混み、でも15分くらい待って必要な情報は確実に手に入り満足。英語通じました。





こちらは市場。左側、ヤシの葉っぱに隠れているのがマクドナルドの看板、シックな茶色。地下がコストコのようなお店になってた。ちょうどシエスタ時で、お肉屋さんやお総菜屋さんなどテナントはお休み中。スーパー部分だけ開いてたのでお水とビールを購入。




八百屋さんでアーティーチョーク。別に珍しくないけど、相葉ちゃんがTVで知らなかったの思い出して撮ってみた。




果物屋さん。特産の平らな桃 Paraguaya とネクタリンみたいな桃を買う。





スリオラ橋。欄干の装飾がまるで灯台のよう。 



サラマンカ通りからビスケー湾。札幌ではこんな青い空は見られない、うっとり。ペンションからこの海まで歩いて10分位。道中唯一のスペイン快晴日だった。




ホテルのレセプションお勧めのお店Bergateで食べたピンチョ。
左は上から撮ったのでよく分からないけれど、ヨットの帆をかたどってあるビスケットが刺さってた。右は、かにコロッケみたいな感じのクロケット。どちらも美味。



ペンションで、ウエルカムキャンディー(?)と買った桃。一緒に写っているTVのメーカーがTOKAI、ゲームニッキの相葉ちゃん「都会バスだって」を思い出す。
平らな桃はまだ熟してなかったようで硬かった。ネクタリンのような桃はおいしかった。




ペンションで検索したGoogle地図を見ながらグ〜ルグル探し回ったピンチョ屋さんのある旧市街。Google地図は、回り道だった。遠くに見えるのはサン・ヴィンセント教会。



反対側のつきあたりはサンタ・マリア教会。この通りにピンチョバーがいっぱい。これから周るであろうお店を想ってワクワク。

夕食は美食の街サン・セバスチャンで有名なピンチョスバー屋GANBARAで。ここはテーブルがなく、カウンターの空いたところにすっと入って注文して食べる。カウンターには、20種類くらいのピンチョが大皿の中に盛られていて、どれもこれもおいしそうだった。

食べたのは、カウンターに落葉きのこみたいのが山盛りされてて、特別な値段(17€!)がついてたのでさぞおいしいのかっと思い注文したキノコのソテー、
たらこをひと腹まるまる塩ゆでしたのをフランスパンに乗っけてその上にオリーブオイルがかけてあるピンチョとまたまたカニクロケットみたいの。どちらも美味、さすが。残念ながら写真無しなのは、昼間食べたところより客層がちょいとハイソっぽくてカメラ出す勇気がなかったから。

キノコソテーは時間がかかるようで、他のピンチョを食べてたら私にお隣に居たご婦人ふたりが英語で話しかけてきた。「どこから来たの?」
「日本からです」と言うと、ひとしきり震災の話になりあなたはどうだったのと聞いてくる。いや〜それほど英語能力無いのにな〜と思いながら、自分は被災してない等説明すると、ふたりはともにフランス人でピンチョのはしごに来たと言う。年のころなら60歳代だと思われるおふたりは、かなりお話好きでお互いはスペイン語で話し、私には英語で話しかけてきた。ふたりは日本にも香港にも行ったことがあって、「私たちカードゲームをしてるの」と言ってた。トランプゲームが仕事?
ともかくふたりは元気満々で、これからどこ行くのか?とかオンダリビアがいいところだけど行くのか?聞いてきた。私は次はサン・ジャン・ド・リュスと言うと「サン・ホワン・ド・ルス!(私にはこう聞こえた)あなたフランス語できるの?」できないと言うと、あらまと言うような顔をしてGOOD LUCK!と。


そこらへんでキノコソテーが来たのだけれど、ひとりで食べるには量が多いしあまりおいしくないと言うか、香りも無く歯ごたえがべちょっとしてて、まあまずかった。
美味しくなさそうに食べているとまたご婦人が「それ美味しい?」って聞いてきたので「味も香りもないです。食べてみますか?」と返事をしたら、またまたふたりは機関銃のように「あのカマレラはあなたにその料理の値段を教えたか?」と聞くので「いや別に」と言うとひとりがが〜〜っとカウンターの中に居る女性に文句を言い始めた。
それをもうひとりの人が通訳してくれたことには、「彼女は外国人なのでピンチョのことは分からない。特別高い料理なのだからことわりを入れるべきだ」とのこと。親切だなぁ〜。




これはマダム達からの助言、直筆メモ。
ピンチョスとは、小さいもので1.5€から2.5€、ラシオンと呼ばれるお皿で出てくるものはピンチョじゃない!食べるな、と。
お二人とは一緒にお店を出て、旧市街を出るところまで3人で話しながら歩いた。お別れの時、行く手の旅の幸運を願っていると言ってくれた。
Merci Beaucoup!



ほろ酔いピンチョバーからの帰り。これで夜の10時近く。サーフィンしている人たちがまだいた。




屋根の上のブラックチムニー(黒い煙突)
ホテルは朝食無し。レセプションに、ツーリストインフォメで教えてもえらった郊外行きのバスターミナルへ行くためのバス停を聞いたら、
「ほら、あそこブラックチムニーが見えるでしょ?あのビルの向こうよ」と言う。頭の中で「チムニーとは何ぞや?」と一瞬考えたけれど
すぐ思い出した。「メリー・ポピンズ」のあの歌。
♪〜Chim chim-in-ey, chim chim-in-ey Chim chim cher-ee!
A sweep is as lucky, as lucky can be〜♪♪
あ、煙突だ!




ブランチ、ホテルのレセプションお勧めのお店 SENRAで。
エビが串刺しになったものがフランスパンの上に乗っている。エビは頭がついて居なければOK!なのだ。ちょうどいい塩加減で、エビは
ぷりぷりだった。他に生ハムのピンチョも食べた。チョコリ(バスク特有の白ワイン)を頼んだ時、発音が通じなくってちょっとがっかり。
アルコール低め。
カマレロさんはいい男でなおかつ親切、「これ飲んでみる?」とシドーラ(シードル)を一杯ごちそうしてくれた。こちらは結構アルコール度高めな感じで昼間飲むには危険な感じ。もう一杯飲んだら酔っぱらいそうだった。


SENRA近くのカフェで飲んだチョコラ。
これが激ウマで、この後幾度かホットチョコレートを飲んだけどこれ以上のものはなかった。



バスステーション Parada De Autobuses Pio Xii  パラダ・デ・アウトブセス・ピオ・シ
サン・ジャン・ド・リュス行きのバス。まるで昆虫の触角のようなミラー。ここからサン・セバスチャンとお別れ。

2011年バスク旅行 その2 サラウツ

サラウツ(Zrautz)へ行くことにしたのは、前のスペイン語の先生のお勧めレストランがあるのと、数キロ離れた街ゲタリア(Getaria)にあるバレンシアガ美術館(The Balenciaga Museum)へお洋服を見に行こうと思ったから。
私は昔のお洋服を見るのがすごく好きで、それは初めての海外旅行ロンドンのロイヤルアルバート美術館で服装美術の歴史を見てからかな。18世紀の貴族が着ていた豪華なドレスや、70年代の超ミニスカートまで見てると自分がその時代に居て着てたらどうだったかな?と考えてとてもワクワクした。その後パリでスキャパレリのコレクションやアンバリッドの軍服の歴史とか、お洋服関係はほんとに見てて眼福、大好き。


ビルバオからのバス、アナウンスがないので不安だったけれどちょうどサラウツに住んでいると言うご婦人とバス席がお隣になって「私も降りるから」と彼女は言ってくれた。凄いカーブ、海岸の街へ行くのに海は全然見えない山道を猛スピードで約1時間、バスを降りる時ご婦人はホテルの名前を訪ねてくれた。住所とホテルの名前を見せたけど彼女は知らなくて、そこに偶然お巡りさんが通りかかってまっすぐ行くとインフォメーションがあるからそこで地図をもらいなさいと…。



インフォメーションで地図をもらい、ゲタリア行きの交通手段を聞くと「歩いて行ける」と言う。バスもあるけど海岸線の道を歩いて40分位と。海から一本入った道をてくてく歩いてホテルへ



ネットで予約したホテルと言うかペンション Txiki Polit (何て読むのか全然わからない) 海にも近いし、ゲタリアへ行くのにも便利だった。ただ、安い部屋だったから窓を開けると外じゃなくて吹き抜けの階段、Planta4は5階だったかな?


ゲタリアに向かう道の右側サラウツの街。サラウツは避暑地・観光地のようでたくさんのツーリストがお散歩がてらこの海岸線を歩いていた。犬の散歩とも度々すれ違った。



ゲタリアに向かう進行方向。この写真を撮った時点ではそ〜んなに遠くないと思っていた…。



まだまだ道の途中。釣り人発見、リーダーを想う。



道の途中でGetariaの文字発見。実際はその文字まで40分くらいかかった。そして街は遠くにある島の向こうだった…。



ゲタリアのインフォメーション前にあったモニュメント、フアン・セバスチャン・エルカノ像。彼はマゼランの世界1周航海に同行した人とか…。
インフォメーションに行ってバレンシアガ美術館の場所を聞くと英語を話すという女の子は、このビルを出ると左側に Electric upstairs があると言う。Electric upstairsは、初めて聞いた英語だったので“Electric upstairs?”と言うとupstairs と言って階段を昇るジェスチャーをしたので、あエスカレーターのことかな?と思い、outsideにあるの?と聞くとそうだと言う。それで行ってみたら屋根のないむき出しの状態で黒いエスカレーターがあって、それを2つ乗り継ぐと大きな美術館があった。雨降らないのかしらね?


クリストーバル・バレンシアガCristóbal Balenciaga
バレンシアガは、日本ではバッグで有名のようだけれど、彼は1972年に亡くなっているのでそれは彼がデザインしたものじゃない。現在、バレンシアガはグッチ傘下とのこと。
美術館のなかはもちろん撮影禁止、年代順にかなりの数のお洋服やバック、帽子、グローブなどが展示されていて彼の業績を記録したフィルムを映し出すディスプレイもあってその解説がスペイン語2種類とフランス語、英語、ドイツ語で選べるようになってた。そのフィルム、白黒からカラーへスペイン内戦などの時代の変化やバレンシアガのドレスを着る時の人が映し出され歴史の勉強になったし実際の服もオシャレでアンティーク、まさに服飾芸術、てくてく1時間以上歩いたかいがありました。



La Pelra で食べたBacalao(タラ)とフレンチフライ&ホワイトワイン。
ゲタリアから帰ってきて直行したスペイン語の先生お勧めレストラン Karlos Arguinano は、こんな小さな街にこんなに人が居たの?ってくらいの行列だったのであきらめた。そして入った海に面したレストラン La Pelra(真珠と言う意味)、最初先生が絶対食べてこいと言った Merluza を頼んだけれど無くて、似たような味のタラを出してくれた。1500円くらいだったかな〜。海とサーファーたちを見ながら食べて、味はまあまあ。この写真で夜9時位、まだまだ明るかった。
ペンションに帰る途中、面している広場で踊って歌っている人たちやペンションの1階のバルがすごくにぎやかで楽しそうで、ひとり旅の寂しさを少〜しばかり感じた。


翌朝、ペンションの朝食は、生の果実を丸ごと潰してジュースにする機械で絞ったオレンジジュースとコーヒー、クロワッサンだった。次の目的地サン・セバスチャン行きのバス停と時間を確認し、お土産物屋さんを周ると11時、ランチには早いかな〜と思ったけれど昨夜のリベンジでKarlos Arguinanoへ。
画像は、いわしの酢漬けとトマト、生ハムとパプリカのピンチョ、付け合せのオリーブとにんにくのピクルスはお代わり自由って感じだった。1つ1.6€くらい。ホワイトワインもそのくらいのお値段。ビールの方が高かった。



お代わりした緑のパプリカと何の魚か分からないけれど美味しかったピンチョ。ワインもついでにお代わり、ピンチョは3つともすごくおいしくてちょうどいい感じの量だった。



カマレロの僕ちゃんにことわって撮ったバーカウンターのポスター。明らかに何かの意図を持って撮られたと思われる写真で、映画「ハモンハモン」を思い出した。



レストラン Karlos Arguinano外観。私だけじゃなく何人かが写真撮ってた。このお店の現在のシェフはカルロスさんじゃないみたい。
ペンションに荷物を取りに行き、13時近くのバスで次の目的地サン・セバスチャンへ。

2011年バスク旅行 その1 ビルバオ

7月5日札幌発 成田経由
オフシーズンだからか中央の4座席占領、すきすきの楽々。JALはいいなぁ〜。「VS嵐」やってた。

15:50パリ シャルルドゴール着
かな〜り離れたところにあるスペイン行きのターミナル2Gへバスで5分かかって移動。2階建てビル、1階にある手荷物検査を受けて2階に上がるともう戻れない。スーベニアーショップやレストラン、バルあり。PCコーナー(WiFi)もあって、30分2€。
フランス語と英語対応のキーボードがありアルファベットの配列が違う。日本語は見られるが、入力不可。嵐コンサートの結果チェック。良い知らせあり。


20:20パリ発 エールフランス機でビルバオへ。
ちっちゃなちっちゃなプロペラ機のようなジェット機。いったん外に出て10段くらいしかないステップを上って機内へ。2−2って座席配列がバスのようだった。窓から自分のスーツケースが機内に入るのを見て安心。飲み物とお菓子のサービスがあり、甘いものがいいか、クラッカーがいいか、飲み物に氷は入れるのか聞かれた。飲み物はパスしてクラッカーをもらった。これがすごくおいしくって、商品名覚えておけばよかったと後悔。通路ギリギリ体系のCAふたり。


ビルバオ着 夜9時半位だったと思う。
入国スタンプはパリで押してそれだけ、そっか〜。空港にはサン・セバスチャン行きとビルバオ市街行きのバスが止まってて、夜中12時まで20分おきにあるとのこと。

待つこと20分位、ビルバオ市内行きバスに乗ったはいいけどホテルの場所がよく分からないので、ホテルの近くだと予想したグッゲンハイム美術館が見える停留所で降りて、その前にあったバルでタクシーを呼んでもらった。ケチケチ旅行、本来なら歩くところだけれど暗いし、小雨だったので。空港からのバス代、1.30€、Hotel Baceloまでのタクシー代、7€。部屋は、まあお値段なりで
やはりティッシュペーパー備えなし。ホテルロビーのバルでスペイン初ビール、1.5€。おいしかった。


翌朝、ホテルのフロントに次の目的地Zarautz(サラウツ)行きのバスチケットを買いたいけどどこで(Donde?)と言ったら、「ホテル前の川沿いを歩いていくと橋があり、そこを降りたらトラムの駅があるからそれに乗ってTermibusまで」とのこと。朝食が付いてた。まあまあかな? スーツケースを預かってもらい散策へ。預けるところがすっごくアバウト。
自分でフロント横の小部屋へ入れて、そこに入るのも出るのもチェックなしって感じだった。カメラがあったのかも…。


ホテル前に流れるビルバオ川に沿って歩く。向こうに見える綺麗で大きな橋はPasarela zubi zuri(スピズリ橋)
車は通れなくて人間、ペット、自転車、車いす専用みたいだった。高所恐怖症にとって、高さと長さは鬼門のようだったが、揺れないし滑らないし歩きやすかった。人口芝生みたいなのが敷いてあったの。この橋だけじゃなく街(新市街)のあちこちがバリアフリー設計だった。



反対側が旧市街



途中にあった水飲み場。多分犬用。



バスク様式の建物、Veronica Bitri Elizalde ホテルらしい。



観光ボートのBillboard ならぬビルボート。


スピズリ橋たもとのトラム乗り場から、Zarautz(サラウツ)行きのバスチケットを買いにバスステーションのある駅へ。
地下鉄でも行けたみたい。路面電車好きとしては嬉しいトラム1日券、3.65€
車体全体が広告に覆われていて、外からは中が見えないが、中から外は良く見えた。降りるときは中のノブを横に引いて自分で開ける。
夏休みが始まったばかりからか、バスステーションはものすごい人だった。表示が読めなくてインフォメーションへ。
なかなか言葉が通じなかったが目的のブースへ。行列は2列、HOY(今日)とOtoro(その他)即HOYに並びすぐに買うことができた。
サラウツ行きのバス会社はALSA、売り子のおばさんが凄い親切で何回も14時15分発!と言ってくれメモも書いてくれた。5.62€。


トラムを待っているとこ〜んな表示が、便利。「あと2分」で来るよ〜〜ん。




外観がいちばんの見どころと言われている(?)グッゲンハイム美術館、後ろに写っている美しい橋はサルベ橋。右奥にパピーちゃん。
ポロックの№16が見れた。知ってる絵はそれだけ。前衛的な芸術作品が多く、巨大で真っ赤なエビが真っ赤なオープンカーから飛び出てるオブジェがあってエビ嫌いとしてはめまいしそうだった。


        


        

パピーちゃん連写



おなかなかがすいたので、夕べタクシーを拾ってくれたバルBOSTAへ。お礼をもう一度と思ってたのに親切なカマレロさんはいなかった、残念。頼んだのはボッカディージョ、たこのピンチョスとTinto de verano、食べ物の写真なし。
スペインの北は物価が高いと聞いていたけれど、合わせて1000円しなかったのでそうでもないと思った。
カマレロさんに了解を得て、バル内を撮ってたら、扉のペンキを塗ってた人が「セニョ〜〜ラ」と言ってこの写真を撮ってくれた。
時計ばっちり、アリバイ成立。




旧市街、テントはホームレスかキャンプなのか分からなかった。物を売っている人たちもいた。
川を挟んで向かいの建物はコンコルデイア・デ・ビルバオ駅。ホテルでもらった地図には、近くにツーリストインフォメがあると書いてあったけど無かった。細い路地にお店が連なっていて、生ハムやタラがぶら下がっていてとても活気があった。バスステーション辺りとは違う街みたい。



バスク美術館の向かいのミゲル・デ・ウナムロ広場。美しいバスク様式の建物。バスク語は読み方、発音共に全然わからない。
スペイン語でmuseo(美術館)はバスク語でmuseoa。バスク語は系統が判明されてない言語らしい。
美術館の中はもちろん撮影禁止で、何となくアイヌ民芸館みたいな感じがした。手織りの布とかね。



旧市街からてくてく歩いてホテルまで帰る途中にあった市庁舎。結局トラムの一日券は得だったかどうか…。

つづく